画面デザインの重要性と思い出
今日は寒い。
ぼちぼち転職活動中です。
IT業界と言えば新興勢力のようにとらえられがちだけど、
そうは言っても古い企業なら30年以上の歴史があります。
そういう企業は大口の顧客を持っているようだけど、
作っている製品が古臭いな~と感じています。
画面デザインに対するこだわりが足りない。(上からでごめん)
見た目が古臭い。(また言っちゃった)
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人生逃亡生活画策中
一応、日本での就職を目指して転職活動中だけど、
どうにもむなしい。(内定は1社獲得済み)
日本がこの先どんな風になっていくのかわからないけれど、
良くなるわけがない。
70代のおじいちゃんが総理大臣になるような国なのに。
少子高齢化が解消する兆しも見えない国なのに。
そんな社会で職にありつこうと頑張っているのが非合理だなと思う。
だから、どこでもいいからワーホリで海外に逃げ出してしまおうか、
という考えが脳裏にちらつく。
いまは、オーストラリアへ行きたいなと考えている。
ちょうど暖かい季節だし、
それに加えて農作業とか酪農業とか、
東京生まれ東京育ちがやったことないことを経験できる。
オーストラリアのワーホリビザは、申請してから34日以内に取得できるらしい。
5月ごろに出発したいな~と思って、今日の昼頃に半分だけ申請用フォームに入力してきた。書類などがまだそろっていないので、さっさとそろえてしまおうと思っている。
もしも、日本がこれから円安が続くのであれば、今私が働いて貯めたお金の価値はこれから下がり続けるのだろうと思う。
だからこそ、今のうちにお金を使って経験を手に入れたいなと思う。
転職活動をやっていると、割と憂鬱だ。
また労働をしなきゃならないのかと渋ってしまう。
死んだ方がマシだと冗談で独り言ちる。
ワーホリのことを考えていると、目の前が明るく開けたように感じる。
そりゃ、英語もできないし、自身もないけど。
しょうもない暮らし
人間関係リセットするのが好きです。
まっさらな自分、新しい自分としてやり直すことができるのが好きだからです。
それに、3年間も仲良くしていると、その人の言動にうんざりすることも増えていくのです。
だから私は、自分のためにも、人間関係をリセットする必要があるのです。
いつも、人間って気持ち悪い自己顕示欲を持っているなーと思ってしまいます。
それは自分に対しても思うし、他の人に対しても思う。
だから、たまに自分の殻の中に戻る時間と、そして新しい世界を切り拓く機会を欲してしまう。
ナイチンゲールの沈黙という小説に登場する浜田小夜という看護師は、「いつもここじゃないどこかに行きたいと願っていた」と言います。
私も、ここじゃないどこかに自分の居場所があり、それがどこなのかわからないまま座り心地の悪い椅子にずっと座り続けている気がします。
こんな10代みたいなことを20代になっても考え続けないといけないなんて、くだらないなと思います。
もっと自分の気持に正直になって暮らしていたい。
見ていた。懐かしいドラマを
踊る大走査線のエピソードを見ていた。
何話なのかは分からないけれど、たぶん主人公のお兄さんが赴任してきたばかりのEP1だと思う。
万引きをした青年の取り調べを湾岸署の警察官(お姉さん)がしている最中に、署内の放送で死体が発見されたことが発表される。(※全体的にうろ覚え)
それで、主人公のお兄さんが張り切って、パトカーで先陣をきって現場に乗り付けようとするのだけれど、パトカーを出動させるためには、書類を書いて課長や部長の押印をもらわなければならない。
主人公のお兄さんが「緊急なんです」と言い返しても、「規則ですから」の一点張り。
これが一種のコントのように放送されていた時代があったのだなと思った。
今の感覚だと笑えないよなーと思った。
クソみたいな規則のせいで、現場に到達する時間が遅れる。
こういうものをデジタル化するのが必要なのだよなーと思う。
今の警察署でも、パトカーの出動の為に書類の提出が必要なのかはわからないけれど。
何も考えずにペーパーレス化をすると、パトカー出動のための書類をPCやスマホの端末上で記入できるようなシステムを開発することになってしまう。
この場合は、事件があった段階でパトカー出動の必要があれば、警察手帳にICチップでも埋め込んでおいて、パトカーの中にICチップを読み込む機械を取り付けておき、パトカーの出動状況を可視化できるようなシステムを設計する必要があるのではないかと思う。
今なら、そういう仕組みができているのだろうか?
デジタル化の予算をケチってしまい、書類の記入方法をデジタル化しただけ、みたいな現場を見たことがある。
ペーパーレスのようなデジタル化ってくだらないよなーと思う。
好きな言葉は自力本願
こんばんは。
私は他力本願が嫌いです。
その代わり、自立した人間として生きていきたいなと思っています。
「自立」とは、自分以外の依存先をたくさん作ることだと聞いたことがあります。
でも依存先(頼れる存在)を作ることは、私にとって難しいなと感じます。
私が想像するに、依存先になってくれる人というのは、他の人にとっても依存先なのだと思うのです。
だから、その人に私が依存すると、その人はもっと大変になるのではないかな?と思って遠慮してしまうのですよね。
でも、みんなの兄貴分(姉貴分)みたいな人もいますよね。みんなが頼って慕っている存在。そういう人に頼ることに関しては抵抗ないです。
でも貸し借りの「借り」ばかりが大きくなる存在には、罪悪感を抱きやすいのです。
だからギブアンドテイクな関係性を築きたいのが本音です。
しかし。
人間関係って、片思いだと思うのですよね。
自分が仲良くしたいなと思っている人には、他にたくさん友達がいたり、逆に、相手はめっちゃ絡んでくるけど、自分はあんまり仲良くしたいと思っていない相手がいる。
だから、両想いの状態って基本的に作れない。
両想いだとしても、お互いの温度感が違うというか。
こっちはギブアンドテイクの関係性を築きたいと思っていても、相手は他の人とそのような関係を築いている場合ってありますし。
あんまりギブアンドテイクの関係までもっていくことができなくて、結局頼るだけの関係が出来上がってしまいます。
ちなみに、私は誰かに搾取されるのが嫌いなので、頼られてばかりの相手だと、邪険にしてしまいがちです。
あと、これは育てられ方の問題かもしれないのですが、私はあんまり人に頼るのが好きじゃないです。
嫌いだと思います。
何故かというと、依存先になってくれるような頼れる存在は、母にとって理想の子供だったらしく、私はよく比較されて罵倒され続けていたので、罪悪感というか……劣等感を感じやすいので、近づきたくないのです。
どちらかというと、これが本心かもしれないですね笑
どちらにせよ、他力本願はしたくない。
いざというときに、一人で解決し誰にも頼らない(もちろん親にも)ことが、自分の矜持になっています。
これは、自分にとって厄介な十字架を背負っているような気分です。
こういう生き方は、一人で過ごすことに対する正当性を主張できるから、別にいいかなと思いますが、やっぱりふとしたときに孤立しすぎているなと感じるのでした。
孤立する人間は、田舎じゃ生きていけないと考えています。
これは生まれも育ちも東京の人間の偏見かもしれないのですが、田舎でぼっちとして生きていたら、相当苦労しそうな気がするのです。
どの程度の田舎に住むのか?という話にもなってしまいそうですが、どちらにせよ生活インフラが整っている都会に住んでいるからこそ、孤立しがちな生き方をしてもどこ吹く風でいられると思うのです。
まぁ、一回も田舎に住んだことはないのですが笑