カリスマの異能と政変の銃口

 

 

この国は乗っ取られつつあると言っていて、何か変化が来るのであれば、じっくり待って様子を見るしかないが、エイト・レインズのこのあたりで俺らにできることと言えば、眺めて待つことだけだ。(P18)

「あいつ」ーー誰も名前で呼ばないけれど、ここジャマイカならみんな知っている。何人もの人間が、それぞれの立場から、所属する世界から彼について語る。

うすらうすら世界の背景が語られて、きっとあんたは、平和ボケした日本人のあんたはこの物語の世界を頭の中で構築することは不可能だと自覚しながら読むだろう。

日本じゃ歌手は政治のことに口を出すだけでひどいバッシングを受けるものだが、この物語に出てくる「あいつ」は、「歌手」だがギャングと付き合いがあって、女を囲って、政治家のプロパガンダにも加担している。

それが悪なのか、まだ判別がつかない。なぜなら、この700ページもある大長編の96ページまでしか読み終わってないからだ。

蓮っ葉な文体は音楽的でリズムが取りやすく、とっつきやすい。広辞苑のような殺人的な分厚さに胸が高鳴る。

物語は群像劇のように、様々な人間の視点が入れ替わり立ち代わり、時間軸も進んだり戻ったりを繰り返す。三次元の振り子のように。

振り落とされないようにするには、よく読むしかない。

 

冒頭、死者がしゃべりだす瞬間から物語の奔流に吸い込まれるように彼らの話に聞き入る、彼らの流麗な喋り声が耳元から直接脳に語り掛けてくるように感じるからだ。

彼は、自分は突き落とされた、と独白する。その死体の両手足は、ビルの最上階から見下ろすと死んだ蜘蛛のようにありえない方向に曲がっていたと。

 

あっしは「歌手」に警告したんでさぁ。あっしはこう言った、お前さんな、すぐ近くにいる人間の中に、お前さんを引っ張り下げることばかりし始める奴がいるんだぞ、わかるか?あっしはそれを彼に言おうとした。嫌になるくらいくりかえした。しかし彼はただ、あの笑い方で笑うだけでさ、部屋中をとりこにするあの笑い方で。(P34)

これは、ジャマイカのギャングのトップに君臨する男の戯言だ。部屋中をとりこにするあの笑い方、それがどれほど人を魅了するのか?冷徹無慈悲な人間を魅了する笑い声はどんな声なのか。竹を割るように快活なのだろうなと想像する。ジャマイカに竹は群生しないだろうけれど。

「あいつ」は、初めから少し心配されていた。実際のところ、彼のカリスマゆえに、彼の友人のふりをして、彼の家に入り込んで企てをする奴らもたくさんいた。奴らの悪事が暴露されたときに、何故か彼にその悪事の請求をするときもあった。

 

私は父のことを臆病者だと言っているわけではない。ケチだと言っているわけではない。けれども人間、用心深すぎると、時にはそれが正反対の、別の種類の軽率さに転じてしまうことがある。彼がそうだというわけではない。彼は、ハシゴの半分まで登れることすら期待できなかった世代に属しているものだから、半分まで登れてしまった時点で怖くなって、それ以上高くまで登るのをやめてしまった。(P40)

ニーナ・バージェスの父親は充分にお金を稼いで、娘たちの為に頑張っているが、高校時代は同級生にバカにされてきた彼女には奇妙なコンプレックスが渦巻いている。父親は充分だ。いや、充分ではない。半分まで登れてしまったからなのだろうか・・・?最近、家に強盗が入ったり、四軒先のジェイコブズさんが無実の罪で留置所に入れられている。

 

(略)男の人はビューティ・コンテストで優勝するなんて夢を見ることが無い分、国の未来のことを現実的に心配しているからなんだろう。私は政治なんか大嫌い。ここで生きているんだからここの政治を注視して生きなきゃだめだっていうのが大嫌い。だけど逃げ道はどこにもない。政治を生きなければ、こっちが政治にやられてしまう。(P42)

だから、ニーナ・バージェスにとって、「あいつ」は、自分を救ってくれる王子様のような人だった、でも王子が迎えに来ないせいでいつも待ちぼうけを食らわなければならない。「あいつ」が久しぶりにこの町に戻ってきてコンサートを開くことになった。コンサートは前代未聞の警戒ぶりで、ホールの入口にはいつも警備員が立っている。だから、ニーナはずっと車を眺めている、「あいつ」の車が来たら、真っ先に駆け寄るために。でも、実のところ、”こっちが政治にやられてしまう”現実も、見えているのだ。

 

オレは一日じゅうベッドに起き直ったままで過ごし、彼女は何も食べるものがないことにずっと文句を言っていて、仕事に出かけていく、もしPNPがまた勝ったら彼女はいい仕事をもう手に入れられないからだ。

「冷戦は終わっていないが、もうずっと前のことに感じられる」ような、政治的なシフトが今起こっていて、六〇年代はジャマイカ労働党が国を治めてたが、一九七二年に人民国家党(PNP)が選挙に勝った。

政権交代の後、政治機能が弱体化して多くの人は仕事探しをしなければならなくなった。仕事をするよりも良い稼ぎ方を探した結果、ギャングになる場合もある。そして、競馬の騎手を恫喝して八百長をさせたりしているのだ。

 

 

これはジャマイカ出身の作家の小説である。以前、カリブ海文学の金字塔(と呼ばれているらしい)「憤死」という小説を読んだ時と同じように、文体が特徴的だと思った。一文が長くて、音楽のようにリズミカルでもって語り掛けてくる。

「憤死」はかなり読みづらくて、内容を理解できないまま音を上げたが、本書は読みやすい文体でギャング・貧困・革命など、生々しく惹きつけられる物語が練り上げられていく。

ジャマイカの1972年の、輝かしい成功者ボブ・マーリーの帰郷と政権交代のピリピリした空気感が伝わってくる。

まだ序盤も序盤なのだけれど、早く全部読みたくて仕方がない。読むのが遅いので、1週間かけて読もうと思っているのだけれど。笑