超高齢化社会で終末期医療を選択できずスピリチュアルな治療しか選択できなくなった話

ガチのスピリチュアルな人っていうのは、なんだかんだマイノリティーだと思う。たまたま仲良くなった人がそんな話をしていたら、「おや、この人は信じているんだ」と驚くくらいだ。スピリチュアルを信じている人も、そういった世間の目を気にして、むやみに話さないように隠しているのかもしれない。

 

しかし『るん(笑)』は、スピリチュアル至上主義となった近未来日本が舞台のSFだ。

 

初読したとき、私はこの世界観についていけなかった。全く話が頭に入ってこなかった。

免疫力の・・・立場」右手のグラスを胸に押し付け、左ての指で首の薄い皮膚をつまんでいる。

気持ち、なぜ考えてあげない

これは第一編「三十八度通り」に登場する真弓のセリフだ。彼女の夫は三十八度の熱に侵されており、クスリを服用した。しかし、真弓はクスリに頼らないで!免疫力の立場を考えて!と、夫を強くなじる。

 

この小説に出てくる登場人物は始終この調子で、読者の立場からすると、熱が出ているのに「ほんの微熱とはいえ、霊障は長引くとつらいですよ。」「せめてお墓参りにはいかれた方が」などと頓珍漢なアドバイスをする連中とは、見下して距離を取りたい。

 

昨今の情勢から、コロナ禍で起きたワクチンのデマなどをこの小説から連想していたけれど、やはり社会に影が差しているときこそ、こういったデマは人の心を犯していくのかもしれない。

 

るん(笑)の世界では、少子高齢化が進んでいる。

それは、第一編「三十八度通り」の物語内で至るところに影を落としている。

  • 真弓たちが住んでいるマンションは老朽化が進んでいるが、住民が少ない上に彼らの収入が低いため資金が集まらず、改修することができない。最近は自壊する建物もあるらしい
  • 「三十八度通り」の主人公である土屋は、結婚式場で働いているが、結婚するカップルの数が激減しているため、<ひとり婚>や<離婚式>などで集客せざるをえない。
  • 癌の末期患者が終末期医療を選択することは、この世界では推奨されていない。来世に業を持ち越さないチャンスだからだ。癌は”蟠り(わだかまり)”と呼び、癌という言葉は忌み嫌われている。
  • 血縁より心縁(これは作中に出てくる言葉で、ソウルメイトのようなものだと思われる)が重視されている。※少子高齢化によって家族の構成員がほとんどいなくなり、地域内でのつながりが重視されるようになったと思われる。

全編読めばわかるが、この世界では取り返しのつかない高齢化が進み、癌患者に終末期医療の選択肢を取らせないようにスピリチュアルの洗脳が行われている。そんな仮説が浮かび上がってくる。

 

その証拠として、第二編「千羽びらき」に出てくる主人公は一行目で次のように独白する。

これほどの安堵に解きほぐされたのは初めてだった。

第二編は、初老の女性の心の声でほとんどが構成されている。わかることは、彼女は末期のがん患者であり、病院での治療を望んでいるが、家族には病院での治療を反対されているということだ。

 

なぜスピリチュアル至上主義の世界で、彼女は病院での治療を希望したのか?それは、似非科学では自分の体が治らないことを知っていたからだと思う。彼女は緩和ケア(?)を期待して入院しようとするが、家族に阻まれて自宅へ連れて帰られる。

 

帰宅すると、彼女は天然ラジウム鉱石が大量にちりばめられた寝具に寝かされる。

殺す気か?!と、私は内心恐怖に襲われた。無知の善意で家族を殺す。あるいは、本当は誰も彼もが働き手ではない高齢者を弱らせて死期を縮めたいのかもしれない・・・。

 

このスピリチュアル至上主義の物語の中にはいくつかの謎が隠されているのでそこにも触れたいのだが、今回はこれくらいにしておく。

 

そういえば、こんな小説も昔あったよね。(悪趣味すぎて読んでないけど。)